暴力をめぐる「生のあやうさ」と「葛藤」――ジュディス・バトラーの非暴力論
Table of Contents 1. はじめに 多くの人々が非暴力を口にしながらも、現実には暴力という手段によって目的を達成しようとする事例は事欠かず、個人レベルでも集団でも民主主義を標榜する法の支配に従属する国家に至るまで、ごくあたりまえに見い出される。この厄介な現実に対峙するためのひとつの切り口として、ここではジュディス・バトラーの非暴力論について考えてみることにする。1 バトラーは、911「同時多発テロ」や対テロ戦争、Black Lives Matter、中絶をめぐる論争や性暴力、そしてイスラエルの建国以来繰り返されるパレスチナへの戦争まで、状況に敏感に呼応して暴力と非暴力の問題に繰り返し言及してきた。彼女の基本的なスタンスは明確で、暴力という手段を否定し非暴力を選択するという立場だ。しかし、その主張はやや難解だ。議論の前提になっている精神分析(フロイトだけでなくとりわけメラニー・クライン)やエマニュアル・レヴィナスの哲学などは、活動家の間の共通理解にはなっていないだろう。非暴力抵抗運動の活動家がジーン・シャープの本を読んだりするような手軽さはないかもしれない。そもそも彼女の […]