ブログ - 分断を越えて新たなつながりへ---WSF首都圏のイベントから
世界社会フォーラム2010年の世界同時多発アクションの最初のイベントでもある首都圏での世界社会フォーラムが昨日24日に開催された。
ぼくは、こにブログでも紹介した「資本主義ではいきられない!くそっ!」の分科会のオーガナイザーだったので、この分科会のことだけを少しだけ書いておく。参加者は延べ30名ほど。準備された会議室とちょうどいい具合の参加者で、教室型の椅子と机の配置をやめて、椅子だけで円形の座席をつくってフリートークにした。
最初に、ぼくから、世界社会フォーラムのことと、なぜこの分科会をやろうと思ったのかを簡単に説明した。世界社会フォーラムは、参加者が自由にスペースを駆使して、自分たちが日頃取り組んでいる課題や、抱えている問題を、いつもは出会うことだ難しい人たちと出会う中で経験を共有したり、議論しながら、次の一年のアクションを作っていく場だ。だから、この分科会では、誰かがスピーカーとなって問題提起したり報告して、参加者がそれを聞くというスタイルではなく、最初からみんなが語りたいことを語り合う場にして、次の一年を目指すということにした。
オーガナイザーとしてはたくさんの不安もあった。受身では参加しづらい設定だし、いったいどんな話になるかも皆目見当もつかない。参加者もいるのかいないのか、事前の根回し?みたいなこともやっていない。ゆいいつフライヤーを配り、ネットで呼びかけただけだ。しかし、こうした不安は杞憂に終わった。参加した人たちが満足したかどうかはとても心配だが、今後の課題ははっきり見えたと思った。
第一に、参加した人たちのなかに、社会運動も労働運動も経験のない人たちがかなりいて、それぞれに自分が抱えている問題、とくに仕事と生き方の両立しがたさを語ったと思う。仕事はもはや生きがいでもなければ、仕事で自己実現できるということでもない。むしろ、仕事は自己実現や解放を妨げる大きな障害になっている。労働運動がめざしてきたような労働現場における労働者の権利回復ではまったく不十分で、むしろ労働現場それ自体が、いかなるものであれ抑圧以外のなにものでもない、ということなのではないか。
第二に、参加した人たちは、問題を共有しながらも、同じ問題を抱えているひとたちとうまく出会えていない。言い換えれば、分断のなかで孤立を強いられている。WSFのこの分科会にたどりついた人たちは、必死になってネットで情報を探し、自分たちがつながれる可能性のある場を探してたどり着いたという印象が強かった。
多くの人々の分断と孤立は、自然に出来上がってきたものではない。労働の現場も都市空間も、コミュニケーション環境も、人々を分断する方向で制度化され構造化されてきた。かつて、この分断を資本は、会社へのアイデンティティ形成を通じて統合してきたが、非正規労働者や失業者は、こうした資本の統合の外にあり、自分が何者か?ということについての幻想すら与えられないような環境に追いやられた。しかし、そうであるが故に、逆に、資本主義の幻想と無縁であり、ある意味で、資本主義の矛盾をもっとも実感として自覚できる人々となっていると思う。
この分科会を通じて、ぼくは、分断と孤立を強いる構造との闘いを具体的にどのように構築したらいいのか、という宿題をもらったように思う。この宿題はぼくが解く問題であるわけではなく、これこそは、当事者が主体となる運動の課題なのだと思う。これまでも社会運動や労働運動が同じようにこの宿題を課せられてきたわけだけれど、これまでの運動が出そうとした「答え」は必ずしも十分なものではないのかもしれない。
分科会の最後に僕は、来年WSFのイベントが再び実施される時にはかならず、もう一度このような場を設けるということを約束した。この約束が分科会で最後に決めることができた唯一のことだった。1年間後に、どのような分断と孤立を越えた新たなつながりを私たちがどのように模索してきたかを報告しあえるようになるだろうか。ぜひとも来年につなげたい。
全体会の模様
ぼくは、こにブログでも紹介した「資本主義ではいきられない!くそっ!」の分科会のオーガナイザーだったので、この分科会のことだけを少しだけ書いておく。参加者は延べ30名ほど。準備された会議室とちょうどいい具合の参加者で、教室型の椅子と机の配置をやめて、椅子だけで円形の座席をつくってフリートークにした。
最初に、ぼくから、世界社会フォーラムのことと、なぜこの分科会をやろうと思ったのかを簡単に説明した。世界社会フォーラムは、参加者が自由にスペースを駆使して、自分たちが日頃取り組んでいる課題や、抱えている問題を、いつもは出会うことだ難しい人たちと出会う中で経験を共有したり、議論しながら、次の一年のアクションを作っていく場だ。だから、この分科会では、誰かがスピーカーとなって問題提起したり報告して、参加者がそれを聞くというスタイルではなく、最初からみんなが語りたいことを語り合う場にして、次の一年を目指すということにした。
オーガナイザーとしてはたくさんの不安もあった。受身では参加しづらい設定だし、いったいどんな話になるかも皆目見当もつかない。参加者もいるのかいないのか、事前の根回し?みたいなこともやっていない。ゆいいつフライヤーを配り、ネットで呼びかけただけだ。しかし、こうした不安は杞憂に終わった。参加した人たちが満足したかどうかはとても心配だが、今後の課題ははっきり見えたと思った。
第一に、参加した人たちのなかに、社会運動も労働運動も経験のない人たちがかなりいて、それぞれに自分が抱えている問題、とくに仕事と生き方の両立しがたさを語ったと思う。仕事はもはや生きがいでもなければ、仕事で自己実現できるということでもない。むしろ、仕事は自己実現や解放を妨げる大きな障害になっている。労働運動がめざしてきたような労働現場における労働者の権利回復ではまったく不十分で、むしろ労働現場それ自体が、いかなるものであれ抑圧以外のなにものでもない、ということなのではないか。
第二に、参加した人たちは、問題を共有しながらも、同じ問題を抱えているひとたちとうまく出会えていない。言い換えれば、分断のなかで孤立を強いられている。WSFのこの分科会にたどりついた人たちは、必死になってネットで情報を探し、自分たちがつながれる可能性のある場を探してたどり着いたという印象が強かった。
多くの人々の分断と孤立は、自然に出来上がってきたものではない。労働の現場も都市空間も、コミュニケーション環境も、人々を分断する方向で制度化され構造化されてきた。かつて、この分断を資本は、会社へのアイデンティティ形成を通じて統合してきたが、非正規労働者や失業者は、こうした資本の統合の外にあり、自分が何者か?ということについての幻想すら与えられないような環境に追いやられた。しかし、そうであるが故に、逆に、資本主義の幻想と無縁であり、ある意味で、資本主義の矛盾をもっとも実感として自覚できる人々となっていると思う。
この分科会を通じて、ぼくは、分断と孤立を強いる構造との闘いを具体的にどのように構築したらいいのか、という宿題をもらったように思う。この宿題はぼくが解く問題であるわけではなく、これこそは、当事者が主体となる運動の課題なのだと思う。これまでも社会運動や労働運動が同じようにこの宿題を課せられてきたわけだけれど、これまでの運動が出そうとした「答え」は必ずしも十分なものではないのかもしれない。
分科会の最後に僕は、来年WSFのイベントが再び実施される時にはかならず、もう一度このような場を設けるということを約束した。この約束が分科会で最後に決めることができた唯一のことだった。1年間後に、どのような分断と孤立を越えた新たなつながりを私たちがどのように模索してきたかを報告しあえるようになるだろうか。ぜひとも来年につなげたい。
全体会の模様
