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ブログ - パンフレット『瓦礫論』

パンフレット『瓦礫論』

カテゴリ : 
人権
執筆 : 
toshi 2012-4-23 23:27
このブログに書いてきた瓦礫についてのエッセイに加筆してパンフレットにしました。かなり加筆した箇所もありますので、ぜひお読みください。まえがきを以下に転載します。
PDF版は→こちら


目次
まえがき
第一章 原発輸出と汚染瓦礫の処理---東京をゴミ捨て場に!
第二章 運動の想像力について---「東京をゴミ捨て場に」再論
第三章 10万年を見すえた運動の民主主義---瓦礫問題再論
第四章 「拡散するな」から「被曝させるな」へ
あとがき

まえがき
このパンフレットは、私が昨年から今年にかけてブログに書いた瓦礫問題についてのエッセイに若干の加筆をしてまとめたものだ。

福島原発事故がもたらした広範囲にわたる放射能汚染は、東日本大震災の津波被害にあった地域をも襲い、瓦礫もまた多かれ少なかれ汚染された。政府は被災地の復興の妨げになっている瓦礫の処理を震災の地元だけではなく、日本全国の自治体による分散処理という方針を打ち出した。以降、脱/反原発運動のなかで瓦礫の受け入れに反対する運動が急速に拡がってきた。

「汚染瓦礫拡散反対」「瓦礫受け入れ反対」の拡がりのなかで、私はある種の違和感を感じてきた。その違和感を言葉にしたのがこのエッセイである。しかしだからといって、政府が被災地の復興のためには瓦礫の広域処分が必要であるという主張に、私はまったく納得していない。瓦礫受け入れ反対運動の多くが批判しているように、政府の広域処理は説得力に乏しい。政府の言い分は、被災地の復興を支援するというのであれば瓦礫を受け入れるべきである、というある種の脅しである。瓦礫受け入れの是非を被災地を見捨てるのかどうかという踏絵にしようという意図を私は感じる。原発を推進し、日本の経済的繁栄のために地方を犠牲にしてきた近代以降のこの国の歴代の政権が口にする「復興」を私は信用することができない。問題は「復興」の内実である。「復興」の主導権を政府や資本が握っているかぎり、いかなる意味でも東北の「復興」は、中央の政府や資本の利益に利用される従属的「開発」にしかならないと思う。

他方で、瓦礫拡散反対の主張への私の違和感は、瓦礫が放射性物質によって汚染されているとすれば、それが被災地にあることによって被災地もまた危険にさらされているはずであり、拡散に反対することが、被災地に瓦礫の危険を押しつけることになりはしないか、という疑問である。被災地の人々が瓦礫の危険を引き受ける義務があるのだろうか。私は、そのような義務はないと考えているし、反対を主張する人々も同様だろう。しかし、「瓦礫引受けを拒否するのであれば、誰に引受ける責任があるのか?」という問いと、責任のある者に責任をとらせる運動を視野にいれない限り、受け入れ反対は被災地への押しつけという間違ったメッセージを発信してしまうのではないか。だから、被災地に放射性瓦礫を事実上押しつけるような反対運動をすべきではない、というのが私の主張である。

政府の瓦礫広域処理の踏絵を拒否すること、しかし、放射性瓦礫を被災地に押しつけるべきでもないこと、責任のある者に責任をとらせること、この三つの条件を満すスタンスはありうるのだろうか。これが、瓦礫について、この間私が考えてきたことである。


PDF版は→こちら

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